黄宗羲の書き順(筆順)
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黄宗羲の読み方や画数・旧字体表記
読み方 | 漢字画数 | 旧字体表示 |
---|---|---|
| 黄11画 宗8画 羲16画 総画数:35画(漢字の画数合計) |
黃宗羲 |
[読み]1.平仮名2.片仮名3.ローマ字表記 *[旧字体表示]旧字体データがない場合、文字を変更せずに表示しています。
熟語構成文字数:3文字(3字熟語リストを表示する) - 読み:5文字同義で送り仮名違い:-
黄宗羲と同一の読み又は似た読み熟語など
同一読み熟語についてのデータは現在ありません。
逆書き:逆さ読み(逆読み・倒語(とうご))
羲宗黄:ぎうそうこ羲を含む熟語・名詞・慣用句など
伏羲 王羲之 黄宗羲 ...[熟語リンク]
黄を含む熟語宗を含む熟語
羲を含む熟語
黄宗羲の使われ方検索(小説・文学作品等):言葉の使い方
「支那人の妥協性と猜疑心」より 著者:桑原隲蔵
く、又その廢止を主張した學者すら殆ど見當らぬ。宋の司馬光や明の丘濬《キウシユン》や、明末清初の顧炎武・黄宗羲の如き、支那有數の政治學者ですら、宦官の弊を論ずるに當つては、ただその位置を低下せよとか、その員....「歴史上より観たる南支那の開発」より 著者:桑原隲蔵
浙江省)とか、大思想家は皆南支那の産である。清一代の思想・學術に甚大なる影響を與へた顧炎武(江蘇省)、黄宗羲(浙江省)、王船山(湖南省)等の先覺者も、亦同樣すべて南支那に屬する。公羊學の流行は、支那近代學....「支那史学史概要」より 著者:内藤湖南
纂の爲め多くの學者を北京に集めた。これが清朝史學の隆盛になる根本である。當時學者として認められたのは、黄宗羲(浙江餘姚)と顧炎武(江蘇昆山)とであつて、前者は浙東學派の祖とされ、後者は浙西學派の祖とされる....