「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
に行ったので、時は一八一二年二月二十九日、三月十四日、四月八日および十日で、題目は塩素、可燃性および金
属、というのであった。これも叮嚀に筆記を取って置いて、立派に清書し、実験の図も入れ、索引も附けた。だん....
「一片の石」より 著者:会津八一
、梁の大同十年といふ年に、原碑の残石を用ゐて文字を彫り直すことになつた。そして別にその裏面に、劉之※の
属文を劉霊正が書いて彫らせた。二人が見たのは、まさしくそれであつたにちがひない。こんなわけで碑を背負つ....
「支那の明器」より 著者:会津八一
に伝へて居る。しかし唐時代以前の美術彫刻はと云へば、これまでは漢時代の画像石か六朝時代の仏像或はその附
属物として沙門の像や獅子位のものであつた。ところが一度此の明器の類が続々と出土するに及んで、漢時代では....