「支那人間に於ける食人肉の風習」より 著者:桑原隲蔵
韓非子』の難言篇に據ると、殷の紂王は自分の不行跡を諫めた人々を罪し、翼侯を炙とし、鬼侯を※とし、梅伯を
醢にしたといふ。炙は人肉を炙ること、※は人肉を乾すこと、
醢は人肉を※《きざ》み、麹や鹽を雜へて酒漬にす....
「支那人の食人肉風習」より 著者:桑原隲蔵
て、毫も疑惑の餘地がない。古い所では殷の紂王が、自分の不行跡を諫めた翼侯を炙とし、鬼侯を※にし、梅伯を
醢にして居る。炙は人肉を炙ること、※は人肉を乾すこと、
醢とは人肉を醤漬にすることで、何れも人肉を食する....
「政談月の鏡」より 著者:三遊亭円朝
だ居《お》るでございましょう」 甲「吉田監物家来下河原清左衞門、其の方は武士道が立難いに依って身体の
醢《ひしびしお》になり骨が砕けても云わんと申したが娘が親を助け度《た》いと云う孝心から此の事を申したの....