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嘉禎の書き順(筆順)

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嘉禎の読み方や画数・旧字体表記

読み方漢字画数旧字体表示
  1. かてい
  2. カテイ
  3. katei
嘉14画 禎13画 
総画数:27画(漢字の画数合計)
嘉禎
[読み]1.平仮名2.片仮名3.ローマ字表記 *[旧字体表示]旧字体データがない場合、文字を変更せずに表示しています。
熟語構成文字数:2文字(2字熟語リストを表示する) - 読み:3文字
同義で送り仮名違い:-

嘉禎と同一の読み又は似た読み熟語など
一人親家庭  仮定形  仮定条件  仮定法  可逆過程  確率過程  学科課程  技術家庭科  疑似負荷抵抗  教育課程  
逆書き:逆さ読み(逆読み・倒語(とうご))
禎嘉:いてか
禎を含む熟語・名詞・慣用句など
真禎  禎喜  嘉禎  沖禎介  王士禎  孫基禎  崇禎帝  岩元禎  湯浅禎夫  渡辺禎雄  朝岡興禎  中村理禎  中村禎里  池上禎造  谷垣禎一  大岳文禎  藤川禎次  藤代禎輔  鈴木禎次  矢部禎吉  矢部吉禎  門脇禎二  木村寿禎  本多康禎  堀田禎吉  堀越禎三  福田宗禎  柏原禎吉  萩原禎助  増井禎夫  川本禎二  池田禎治  金児禎三  橋本禎造  橋本昌禎  宮原禎次  岐翁紹禎  河野禎造  荻野禎武  岡田禎子    ...
嘉禎の類語・同義語
鎌倉時代の年号(元号)
文治,建久,正治,建仁,元久,建永,承元,建暦,建保,承久,貞応,元仁,嘉禄,安貞,寛喜,貞永,天福,文暦,暦仁,延応,仁治,寛元,宝治,建長,康元,正嘉,正元,文応,弘長,文永,建治,弘安,正応,永仁,正安,乾元,嘉元,徳治,延慶,応長,正和,文保,元応,元亨,正中,嘉暦,元徳
[熟語リンク]
嘉を含む熟語
禎を含む熟語

嘉禎の使われ方検索(小説・文学作品等):言葉の使い方

法然行伝」より 著者:中里介山
きをまたず。いるいき。いずるいきをまたず。たすけたまえ。阿弥陀ほとけ。南無阿弥陀仏」と常に云っていた。嘉禎四年二月二十九日様々の奇瑞のもとに七十七で大往生をとげた。霊異のことが数々あるけれども記さず。 ....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
であったが、二十八(嘉禄《かろく》元年)頭《とうの》中将、二十九(嘉禄二年)従三位参議兼侍従、三十九(嘉禎《かてい》二年)従二位権中納言に昇り、四十四歳(仁治二年)のときすでに正二位権大納言となった。御子....
[嘉禎]もっと見る
嘉禎の類語:文治 建久 正治 建仁 元久 建永 承元 建暦 建保 承久 貞応 元仁 嘉禄 安貞 寛喜 貞永 天福 を含む文章
南洲手抄言志録」より. 下、秦漢至於今、凡二十二史、皆以武開國、以文治之。因知、武猶質、文則其毛彩、虎豹犬羊...
磯部の若葉」より. 》との墓を所有しているので名高い。佐々木は建久のむかしこの磯部に城を構えて、今も停車...
南洲手抄言志録」より. 幕府勤王の士を逮《とら》ふ。南洲及び伊地知正治《いぢちまさはる》、海江田武治《かいえ...
」より. 《いま》だに覚えている。彼はただ道に沿うた建仁寺垣《けんにんじがき》に指を触《ふ》れ...
修禅寺物語」より. 隔てゝ、塔の峯つゞきの山または丘などみゆ。元久元年七月十八日。 (二|重《ぢゆう》...
俗法師考」より. ても散所参加の記録がある。『光台院御室伝』建永元年十月二十六日御受戒の行列を書いた中...
木曽義仲論」より. 、軽悍、驕妬の謀主、新大納言藤原成親が、治承元年山門の争乱に乗じ、名を後白河法皇の院...
中世の文学伝統」より. 実朝との関係のはじめである。 二十二歳、建暦《けんりゃく》三年十一月、定家は家重代...
和歌批判の範疇」より. ずなどいふ心、いとをかし」云々とあるもの、建保五年の歌合の、二十三番の、 須磨の浦...
最終戦争論」より. ときに仏の予言によって日本に、しかもそれが承久の乱、即ち日本が未曽有の国体の大難に際...
中世の文学伝統」より. た。彼自身は承久乱の年は六十歳で、その翌|貞応《じょうおう》元年従二位に昇ってから、...
房州の一夏」より. 野寺といふ。傳ふこれ聖徳太子の草創にして、元仁年間見眞大師も錫をこゝに留めしことあり...
中世の文学伝統」より. 四歳で従四位上左権中将であったが、二十八(嘉禄《かろく》元年)頭《とうの》中将、二十...
菊模様皿山奇談」より. うが、これが古瀬戸《こせと》と申すもので、安貞《あんてい》元年に帰朝致し、人にも其の...
学生と先哲」より. 時より天変地異がしきりに起こった。あるいは寛喜、貞永とつづいて飢饉が起こって百姓途上...
中世の文学伝統」より. 集』を撰進したのであった。 十 定家は貞永《じょうえい》元年六月十三日、後堀河天...