「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
をして、入場料を出してもらい、聴きに行った。これが即ちファラデーが理化学の講義をきいた初めで、その後も
続いて聴きに行った。何んでも一八一〇年の二月から翌年の九月に至るまでに、十二三回は聴講したらしい。 ....
「支那の明器」より 著者:会津八一
の画像石か六朝時代の仏像或はその附属物として沙門の像や獅子位のものであつた。ところが一度此の明器の類が
続々と出土するに及んで、漢時代ではこれまでの画像石のやうに線彫りでなく、丸彫りの人形や動物、ことに嬉し....
「隅田の春」より 著者:饗庭篁村
城の主《ぬし》となる手柄《てがら》も難《かた》からぬが、岸《きし》に堤《つゝみ》に真黒《まつくろ》に立
続《たちつゞ》けし人も皆《み》な豪傑然《がうけつぜん》たり、予《よ》はいよ/\嬉《うれ》しくて堪《たま....